FUJI XEROX SUPER CUP 2019
スペシャルインタビュー

外資系金融機関の執行役員だった木村正明はなぜJリーグの専務理事へ辿り着いたのか

半信半疑で向かった朝6時の“初出社„

1992年7月、東京大学4年生の木村正明青年は、東京・広尾で嬉しそうに寿司を頬張っていた。その日、外資系金融機関への入社が内定した。同社に通う先輩が開いてくれたお祝いの会。賑やかな店内で、先輩からいきなりこう言われた。

「じゃあ明日から、朝6時に出社するように」

現在、公益社団法人 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の専務理事を務める木村は、 30年前の“初出社”を懐かしそうに振り返る。

「言われたときは、びっくりしました。冗談だろうと思いながら6時にオフィスへ行ったら、本当にみんないました。それからは、毎日6時に出社していました」

1993年の正式入社後は、外国債券部に配属され、国内外を問わず担当する企業のバランスシートを眺め、数兆円規模のお金の運用に関わった。同期入社は世界で39人。そのうち、日本人は木村1人だけ。強烈な個性が揃う集団だった。しかも、若い。

「一言で表すなら、キープ・ヤング。当時の社員の平均年齢は、だいたい30代前半だったと思います。あの会社は、まず採用に手間とお金をすごくかけるんです。どんな人を採用し、どう育てるかに力を入れている会社だったと思いますね」

実際、キャリアを積んだ木村は、自身も採用に関わるようになる。

「あの頃は、バブルが弾けて就職氷河期と言われた時代です。ベンチャーの先駆けが世に現れ、それまでの価値観が変わり始めていました。外資系企業にも、野心的な若者が来るようになっており、社員を採用する上で、当時僕たちが重視していたのは、挫折を知っているかどうか、そして、自分の欲が明確であるかの2つでした。外資系企業では綺麗事よりも、いかに稼げるかが求められます。その中で生き抜くには、踏んづけられても立ち上がれるような逞しさと、迷ったときに立ち戻れる芯の太さが必要になります。だからこそ、挫折への耐性と欲深さを見ていたんです」

採用希望者と会い、その人間性を見極める。一方で、社内では新入社員を“選ぶ„側の木村にも、シビアな視線が向けられていた。

「『自分よりも優秀な人材を採れ』という組織風土がありました。自分より優れた社員を採用し、育てれば、育てた人間にキャリアアップのチャンスが与えられる。逆に言えば、自分を超えなければ評価されない、そういう会社でしたね」

友人から言われた「社長になってくれないか」の一言

2003年、35歳で執行役員に就任し、採用責任者も務めるようになった。翌年、そんな木村に転機が訪れる。地元・岡山のサッカークラブ“ファジアーノ岡山„の運営に携わる幼馴染から、こう頼まれた。

「資金が足りないので、100万円を寄付してくれないか」

木村は快諾した。ただし、その先の未来はまったく予想していなかった。

「一度お金を出せば、やはり興味は湧きますし、チーム状態も気になりますよね。ただ、当時はサッカーをプレーしたり、試合を観ることは好きでしたけど、まさか自分がクラブを経営するなんて、イメージすらしていませんでした」

ところが、その“まさか„は現実のものとなる。2006年2月、再び地元の友人たちに頼まれた。

「ファジアーノ岡山が1000万円前後の負債を抱えており、活動停止にしようかと思っている。今ここで消滅するとプロクラブは当面できなくなる。株式会社化し、オーナーになってくれないか。」

木村は高校卒業後、東京での浪人時代に父親を亡くしている。母親は女手ひとつで家計を支えるために、保険の外交員を始めた。そんなとき、母のために大口の契約を結んでくれたのが、ファジアーノ岡山の社長就任を頼んできた友人たちの両親だった。

「友人たち自身は、そのことを知らずに頼んできたんですけどね。当然、悩みましたけど、今が恩返しのタイミングだと。そして、決断したんです」

クラブ経営の軸として人間心理に向き合う

木村が社長に就任した2006年に地域リーグの中国リーグを戦っていたファジアーノは、翌年末にJFLに昇格。2008年末には悲願のJ2昇格を果たす。2006年にわずか800万円だった営業収入は、2017年に14億円を超えた。ホームゲームの平均観客数も、2016年に目標だった1万人に達した。

外資系金融機関のトップから、地方のサッカークラブの経営者へ。この経歴だけを見れば、前職で培ったグローバルで合理的な手法を持ち込み、ファジアーノの経営状況を改善させたのではないかと想像してしまう。

しかし、木村が岡山で実践したのは、とても“アナログ„な手法だった。自ら岡山県内を駆け回り、徹底的に人と会って人脈作りに奔走した。1年間で配った名刺の数は、2万枚を超えた。

「一番大事なのは、クラブの永続的成長です。地域にもよりますが、まずそれを実現するには、街の重要な意思決定が、どのようにされているかを考えなければいけません。その中心になるのは首長であるとか、議長、議会です。あるいは商工会議所や経済界、メディアのトップ、さらには連合町内会や婦人会、学会などとのつながりが大事になります。まずそういう方々との人間関係を築いておいて、何かあれば相談できたり、反対されない状況をつくることが大事です。それができていないと、例え日本のトップクラスになっても「サッカー好きの集団」の域を超えられず、その街の誇りになれないと思います。

そしてスポンサー様にとっては、僕らクラブと企業がお互いを高め合うような活動をしなければ、存在価値が生まれません。だから、スポンサー企業の社長さんと会うときは、とにかく話を聞くことに徹して、企業とクラブの接点を見つけます。大変生意気ですが、スポンサー様に何かあったときに、僕たち自身がコンサルティングとして相談できるような存在にならないといけません。だから、相手の企業の勉強も相当しましたね」

スポンサーになってほしい企業のトップや、地域の有力者と会う際、サッカーの話はほとんどしなかったと言う。

「正直に言うと、サッカーに本当に興味がある人はごく僅かですから。日常の方が大事です。人間の行動心理というのは、実は自分自身でもよくわかっていません。例えば、世界中で盛り上がるようなサッカーの試合は多くの人が観戦しますが、サッカーが好きだから見るのではなく、みんなが盛り上がっているから見ている人が多いです。オリンピックもそうです。そういう脳の動きを捉えて、こちらも行動をしなければいけない。サッカーに興味のない人が、どの段階で誘われれば『あ、行ってもいいかな。あ、お金を出そう』とマインドチェンジするのか。そこをちゃんと抑えて、はじめて来場施策やスポンサー様へのお願いに向かっていけるんです」

外資系金融機関時代の経験は、活きましたか?

こう問うと、木村は笑顔で首を振った。

「人間って必ず成功体験に縛られると思うんです。過去の経験を生かさないと意味が無いと考える。でも、僕はそれをいかに捨てるかを意識しています。時代と環境が変化する中で、残すべきものと捨てるべきものの判断が大事になってきます。そこは、どんな組織に行っても、一人ひとりが求められると思います」

なぜ人は高級車を買うのか?

2018年3月、木村は2度目の“転職„を経験。Jリーグの村井満チェアマンに請われ、専務理事に就任した。過去の経験の捨てるべきところは捨て、残すべきところは残し、Jリーグ全体の発展に取り組む。

「これだけ情報が溢れていて、これだけ人々の余暇の使い方が多様化している中で、例えば日本のテーマパークや音楽業界、映画業界の売り上げは世界第2位です。ところがスポーツは、世界のトップ10にも入っていません。反省するべきところは反省して、『なぜ人はスタジアムに足を運ぶのか』というところをきちんと調査して、打つべき手を打っていかないといけないと思っています。

例えば高級スポーツカーを買う人は、世界最速の車を買っているのではなくて、世界最高のステータスを買っていますよね。テーマパークに行っている人は、キャラクターを見に行っているのではなくて、週末に家族で最高の時間を過ごせる場所はどこかと考えたときに、選ばれています。ではサッカーって、なぜ選ばれるのか。これは1つの意見ですが、サッカーは得点が少ないスポーツだからこそ、ゴールが決まったときは他のスポーツやエンターテインメントにはないほど、感情を爆発させることができます。スタジアムに来てくださるみなさんは、おそらく深層心理でそれを求めているのではないかと思っています。Jリーグの顧客は女性比率が比較的高く30%を超えています。日本の女性はジェットコースターやお化け屋敷が極端に好きらしく、感情の爆発を脳が求めているのかもしれません。そのあたりをきちっと調査して、アプローチしていきたいと思っています」

国立競技場で観たゼロックススーパーカップのマラドーナの衝撃

Jリーグ専務理事となって2シーズン目は、“FUJI XEROX SUPER CUP 2019„で幕を開ける。中学生の頃から外資系金融機関時代までボールを蹴り続けた木村にとっても、思い入れの深い大会である。

「1979年に、前身のゼロックス・スーパーサッカー第1回大会でニューヨーク・コスモスの一員として、フランツ・ベッケンバウアーが来日したときのことは、鮮明に覚えています。1982年にボカ・ジュニアーズのディエゴ・マラドーナが来たときも、興奮しました。マラドーナは僕にとって憧れの存在で、もう擦り切れるようにビデオも見ていましたからね。真似できるほどのレベルじゃなかったですけど。1990年にバイエルン・ミュンヘンと日本リーグ選抜が戦った試合は、実際に国立競技場で観戦しました。あのバイエルンの試合を生で観たことで、さらにサッカーに対するシンパシーを得られたように思います。

当時の大会が、日本に世界レベルのサッカーを広めてくれる存在だったとすれば、現在はJリーグの開幕を日本中に知らせてくれる大会に変化しました。特に今年は、川崎フロンターレと浦和レッズという日本を代表する2クラブの激突です。対戦カードとして、申し分ない。Jリーグとしても、1995年以来となる、5万人を超える観客動員を狙っています」

2月16日、埼玉スタジアム2002。そこにはきっと、木村の求める「感情を爆発させることができる」空間がある。

(文・松本宣昭)

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