FUJI XEROX SUPER CUP 2019
スペシャルインタビュー

Jリーガーからスポーツジャーナリストへ 中西哲生が語る 己を知り、人生を切り拓く セカンドキャリアとは?

己を知ることで見えてきた自分の役割

現在、テレビやラジオなど多方面で活躍するスポーツジャーナリストの中西哲生は、FUJI XEROX SUPER CUP が行われた1996年3月9日のことをよく覚えている。国立競技場の青い空、少し強かった風の感覚。同年、1月1日に天皇杯を制した名古屋グランパスは勢いそのままFUJI XEROX SUPER CUPでも、Jリーグ王者の横浜マリノスに2−0で完勝した。

「ずっと出たいと思っていた大会でした。チャンピオンチームしか出場できませんからね。富士ゼロックスさんは昔から日本のサッカーに素晴らしい場所を色々と提供してくださっている企業さんですし、そこに良いサッカーで応えられたので、本当に印象に残っていますね」

2点リードの後半途中からピッチに入ると、中盤で守備を固める仕事をきっちりこなし、試合を無事に終わらせた。なるべくストイコビッチの近くでプレーし、相手からボールを奪えば、頼りになる司令塔に球を預けた。王様の守備の負担を軽減する重要な役割を担い、ベンゲル監督は勝ちゲームになると、〝抑え要員〟として投入した。目立つ役回りではなかったが、チームに欠かせない存在だった。それが自分の役割だと本人も了承済み。冷静に己を見つめていた男は、誰よりも己を知っていたのだ。

名古屋でベンゲル監督とともに過ごした約1年半は、何から何まで覚えている。練習メニューの意図を論理的に説明してくれ、1番苦手だった走力トレーニングなども納得して取り組めた。不明瞭な点を聞いても、明確な答えが返ってきた。毎日が楽しかったという。

中西は同志社大学を卒業し、Jリーグ開幕前年の92年に名古屋入り。いざプロサッカー選手としてキャリアをスタートさせるときに、父親から言われた。

「引退後は、どうするんだ?」

浮かれたくもなる年頃の22歳には厳しいひと言だったが、いまもその言葉に感謝している。シビアに現実を見て、人生のビジョンを描いた。

「プロ1年目の時点で、早くに引退する可能性があると思いました。25歳までにその日がくるかもしれないって。だから、最初からセカンドキャリアのことは考えていました」

天皇杯で初優勝を果たし、プロ5年目にしてFUJI XEROX SUPER CUPでトロフィーを掲げても、おごることはなかった。第二の人生に向けて、こつこつと準備を進めていたのだ。

プロ1年目からセカンドキャリアの準備

中西はスパイクを脱いだ後の進むべき道を明確にイメージしていた。

「サッカーを伝えること、教えることがしたい」

漠然と思っていただけではない。1年目から行動に移した。プロの練習は午前中だけで終わることが多く、幸いにして時間はたっぷりあった。まずは英語力に磨きをかけることからスタート。中学校時代、アメリカに1年間住んでいたこともあり、英語はある程度話すことはできた。それでも、より正確に話すために自分の時間を割いた。毎週月曜日に父親が勤める大学の研究室に来ていた留学生を自宅に招き、夕食をともにした。

「マンガのようですが、そのときだけは英語だけで会話していました」

そして、タイプライターでブラインドタッチも習得。90年代前半はコンピューターが一般家庭にそれほど普及しておらず、誰もがタイピングできる時代ではなかった。

「父親からいずれ紙に文字を書かない時代がくると言われていたんです。今後はパソコンを使えないといけないと思って始めました」

しばらくして、コンピューターを自在に使いこなすようになったのも準備していたからこそだ。現役時代からスポーツ総合雑誌でサッカーのコラムを執筆し、自身のHPで連載していた日記をまとめて書籍にしたりすることで、編集者、ライターとの付き合いが増え、多くの助言を受けたという。

「日本代表で活躍した選手と僕の言葉では重みが違うと。一般的に認知されていない選手がサッカーを伝える場合、『論理的に説明できないと話にならないよ』と周りから言われていたんです。いかに言語化するかが重要だと思いました」

25歳で終わりを告げると思っていたプロキャリアも気がつけば30歳を超えていた。ずるずると引退の時期を遅らせるつもりはなかった。

「僕自身、2002年に日本で開催される世界大会が勝負のときだと思っていました。2002年6月に最高のパフォーマンスを発揮するためには、ある程度の準備期間が必要だなと」

中西が見据えていたフィールドは、テレビの世界だ。見聞を広げるために川崎フロンターレ在籍時には、異業種の人たちと会う時間を積極的につくった。世の中の流れを知るために、練習場に通う手段もあえて電車を利用するなど、普段の生活からアンテナを張り巡らせた。そして、2000年末、川崎Fで9年間のプロ生活に終止符を打つ。

「僕の場合、サッカー選手がゴールではなかったので、ここからがスタートという気持ちでした。しんみりした感じはまるでなかったです」

翌年からすぐに新たな一歩を踏み出した。

リスタートではなく転職

現役引退後の肩書は、スポーツジャーナリスト。「リスタートではなく、転職だったかな」と笑って振り返る。当初はいぶかしげな目で見られた時期もあったが、準備してきたことは間違いではなかった。元サッカー日本代表の肩書はなくとも、メディアの世界で独自の地位を確立していく。生放送のテレビ報道番組にコメンテーターとして出演し、ラジオ番組ではレギュラーのパーソナリティーも務めている。中西は一貫してスポーツ、サッカーをよく知らない人にも分かりやすく説明することを心がけている。

「皆が知らないことを前提に説明しないといけない。なるべく専門用語は避け、平易な言葉を使っています。センテンスを分割し、分かりやすい言葉に置き換えることも意識していますね」

プロサッカー選手を引退してから18年。毎日のように壁にぶつかっている。仕事が完璧だったと思った日は一度もない。伝えたいという意識が強すぎて、相手に伝わなかった時期もあった。自分にとってサッカー、スポーツは最も大切なものだが、そう思わない人も世の中には大勢いる。だからこそ、言語化の重要性を口にする。

「万人にサッカー、スポーツの良さを納得させるだけの言葉を持っていない」

長すぎるプレゼンテーションは、すっと頭に入ってこないもの。テレビ番組で話すときも同じなのだろう。中西は生放送中でのコメントは、必ず45秒以内に収めて話している。

「100を準備しても使うのは1か2。絞り出した極上の一滴じゃないと意味がない」

精査した上で、何を出すのかが重要なのだという。コミュニケーションの受け手を常に意識し、聞き手に興味を持ってもらえるように工夫している。

「コップが下を向いていると、水は入りませんから。上に向けてもらうように、まず興味を引かないといけません。これはテクニックではなく、論理です」

常に相手の立場に立って、考えるようにしている。客員教授をしている大学で授業中に生徒がスマートフォンを触っていても、特に注意はしない。教壇に立つ人の話を聞いて理解していれば、大きな問題ではないからだ。常識、前例などにとらわれることなく、柔軟に対応することで、見えてくるものがあるのだという。

物を伝えるプロフェッショナル

話す仕事もサッカーと大きく変わりはない。選手時代の経験は活きている。

「会話はボールだと思っています。司会者として、求める答えから逆算し、ゲストにどのようなメッセージを込めてパスを出すのかを考えています。時間の制限があるなかで、なるべくパスを多くつなぎ(会話のキャッチボールをして)、ゲストが一番良いタイミングでシュートを打てるようにします。サッカーでは焦りと力みがプレーを狂わせます。トークも同じです」

ゲストが落ち着いて話せるように、少し早めに結論を出す工夫をしている。

コメンテーターとして出演しているときも、サッカーに置き換えて考えている。強引にゴールを決めに行くこともなければ、無理にラストパスを出そうとも思わない。自分の役割は、堅実につなぐパスを出すこと。欲を出さない。専門外の話は他の人に任せる。サッカーで培ったバランス感覚なのだろう。「僕はいまも昔も守備的MFです」と笑う。

「僕も昔は自分が自分がというタイプだったんですけどね。アピールすることも必要ですが、自分に何を望まれているかを知ることも大事。それぞれに役割がありますから」

己を知る。現役時代から根本は変わってない。いまはスポーツジャーナリストだけではなく、パーソナルコーチとしてプロの一線級で活躍するプレーヤーらも指導している。FUJI XEROX SUPER CUP 2019に出場する浦和レッズ、川崎Fの両チームにもコーチを務めている選手がいるという。中西が背負った14番を引き継いでいる中村憲剛の活躍に期待を寄せながら、静かにエールを送っていた。

「新加入選手も多い今年のフロンターレのサッカーが、どういうものになるのか楽しみです」

最後に2年連続で出場する後輩たちの姿を頭に浮かべ、自身が叶えられなかった思いをぽつりとこぼしていた。

「フロンターレでも出たかったな」

やはり、簡単に出られない。そう思い返す大会だった。

(文・杉園昌之)

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