価値創造の姿の変遷

時代の変化を先取りし、新たな価値基準を提唱

富士ゼロックスはこれまで、常に時代の変化を先取りし新たな価値基準を提唱することで、社会に新しい価値を生み出し、事業の成長につなげてきました。そして、「プロダクト・アウト」ではないことはもちろん、「マーケット・イン」を超えて、社会が必要とし、社会にとって価値のあるものを提供していくという「ソサエティ・イン」を追求してきました。手書きの複写作業なしに瞬時に情報の共有を多くの人に可能にし、「情報の民主化」を実現したことにおいて、ゼロックスの複写機は「ソサエティ・イン」による社会課題解決そのものといえます。

社会に提唱してきた「価値基準」

1962~ 「商品を買う」から「効用を買う」へ

1962年に創業した富士ゼロックスは、機械ではなくサービスを売るという考え方のもと、普通紙複写機を社会に普及させ、企業活動や社会生活における情報の活用とコミュニケーションに革新をもたらしました。

情報の民主化を実現した業界初の普通紙複写機 富士ゼロックス914

1970 モーレツからビューティフルへ

高度経済成長が頂点に達する中、「人が人らしく、美しく生きるとはどういうことか」を問い直し、がむしゃらに働くモーレツ主義に対し人間性の回復を呼びかけた問題提起により、人々の考え方や生活様式にまで、社会に大きな反響を巻き起こしました。機械文明の進歩が進む中で、人間がより創造的で、より人間的な分野に解放されるために、私たち富士ゼロックスがどう架け橋になれるのかという観点に立ち、モーレツ主義社会に対する問題提起のメッセージを発信しました。

1980 「ダントツ」を求め、デミング賞の受賞

競合の参入、石油危機などで経営環境が厳しさを増す中、全社的品質管理・TQC活動を推進し、世の中を驚かせるような圧倒的な強さ「ダントツ」を目指す気概が、1980年のデミング賞実施賞の受賞に結実しました。

デミング賞メダル

1988 ニューワークウエイの提唱と導入

TQC活動による均一化を打破するために、科学的な仕事の進め方に必要な「Why?」の追求に加えて、「Why not?」で個の発想を尊重するニューワークウエイ」を導入。新時代の個と組織の関係を先取りし、個人が活かされる会社の実現を追求しました。

ニューワークウエイマーク

小林陽太郎氏の先見性

1978年に代表取締役社長に就任、1992年から代表取締役会長を務めた小林陽太郎氏が2015年9月5日に永眠しました。
小林氏は、1970年のビューティフル・キャンペーン、1988年の「ニューワークウエイ」、1992年の「よい会社」構想に代表されるように、企業と社会、社員(個人)のより良い関係を社会に提唱し、常に時代をリードしてきました。社外においては、1999年に代表幹事に就任した経済同友会において、市場による企業評価が過度に短期の経済性に偏っているとの認識のもと、企業の社会性や人間性にも着目するよう「市場の進化」を訴えるとともに、企業の社会に対する責任と企業の持続的な価値創造の重要性を説きました。

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