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「ダントツ」商品の追及

1970年代半ばは、富士ゼロックスの市場占有率は大幅に低下しており、競合に対して絶対的な優位性をもつ高性能な普及機の早期市場投入が強く望まれていました。ここでは「ダントツ」追求の第一歩となった高性能複写機「3500」の開発についてご紹介します。

市場占有率の低下

1975年当時、市場では普通紙複写機の普及が進んでいましたが競合の新製品攻勢により、富士ゼロックスの市場占有率は大幅に低下し、「2200」や「Xerox 914」系の後継機のみでは日本市場での競合の攻勢に対抗するには非常に困難な状況にありました。そこで、富士ゼロックスの独自開発による、競合に対して絶対的な優位性をもつ高性能な普及機の早期市場投入が強く望まれていました。

「3500」の開発

大ヒット商品となった小型高性能複写機「3500」

「3500」は、ランク・ゼロックス社が開発していた国際共同開発商品を起源としていました。しかし、その開発は遅々として進まず、結局、失敗に終わりました。そこで1975年10月、富士ゼロックスは独自開発することを決めて最重点機種に位置づけ、開発プロジェクトは1976年5月に開始されました。将来的に重要な市場と予測された月間コピー枚数1,000~3,000枚の市場を対象とし、1978年4月に地域限定販売することを目標として最優先の商品開発としてスタートしました。苦境下にあった富士ゼロックスにとって、同機の開発の成否は社の浮沈に関わるものでしたが、与えられた主要な開発目標は、(1)当時の大型機並みの40cpmというコピースピードでありながら、サイズは小型機並みのコンパクトさ、(2)コストは従来機の半分、(3)開発期間もゼロックス社が従来開発に費やした期間の半分の2年間、という厳しいものでした。
開発陣はTQC手法を交え、小径ドラムの高速回転技術以外は、ゼロックス社も含めた既存技術を徹底活用しました。また、開発の各フェーズをある程度並行して走らせる開発プロセスを実施して、開発期間短縮に成功しました。

絶対価値と言える「お客様が本当に使いやすい商品」の開発を、納期必達の限られた期間のなかで実現することにチャレンジした結果、計画通りに市場導入を達成することができ、1978年5月、「小さくてもライオン」のキャッチコピーとともに、東京地区で発売されました。コピースピード、コスト、サイズ、電源仕様、コピー質、信頼性、操作性などがお客様に評価され、「3500」は大ヒット商品となり、富士ゼロックスの市場占有率低下に歯止めをかけ、さらに競合に対して攻勢に転じることができました。「3500」は、その後の中高速機の原型マシンとして位置づけられ、導入された技術は後継機の基本技術として10年以上にわたって使用されることになりました。