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ゼロックス製品の国産化

1970年代は、相次ぐ競合企業の参入による競争の激化が始まり、富士ゼロックスにとって60年代とは一転して激動と試練の時代となりました。ここでは、富士ゼロックスが初めて手掛けた小型複写機「2200」の開発についてご紹介します。

国産化構想の背景

富士ゼロックスは、1968年時点で高速機には競合機種がなく圧倒的強さを示していましたが、小型複写機は競争が激しい市場のため、安定した地位を確立するには至っていませんでした。小型複写機がカバーする月間コピー枚数3,000枚以下の市場は、複写機需要の約46%、コピー枚数でも約32%を占めると推定されており、中小規模の事業所数50万余から考えても開拓余地が大きかったのです。このため、富士ゼロックスの若手技術者からは独自開発を熱望する声があがっていました。

「2200」の開発

富士ゼロックス自主開発商品第1号 小型複写機「2200」

先進のゼログラフィー技術の採用により日本の複写機市場を開拓した富士ゼロックスは、「技術の富士ゼロックス」という企業イメージが早くから定着していました。しかしながら、富士ゼロックス独自の技術力が開花しはじめたのは、自主開発商品第1号として発売された小型複写機「2200」からと言うことができます。

「2200」の開発は1968年4月、内密の内にスタートしました。開発グループは4名、予算は430万円というささやかなプロジェクトで、開発機にはCompact Copying Machineから「CoCo」の略称がつけられていました。プロジェクトチームはゼロックス社の「813」の構造を参考にしつつ、性能を大幅に向上させる方針で、(1)ハガキ大からB4サイズの等倍コピーが可能、(2)用紙は自動供給、(3)構造の簡素化・ユニット化・軽量化・無調整化——などを目標としました。
その結果、普通紙複写機としては当時世界最小サイズで毎分5枚のコピーがとれ、画質の向上に加え、B4対応、ウォームアップゼロでのクイックスタートという機能を備えた画期的な商品として世の中に出すことができました。定着機構をはじめとする主要技術は、独自開発したものです。

この「2200」が日本のお客様の前に初めて登場したのは、1972年9月の「創立10周年記念フェアー」でした。そして、翌年1月には「小さくてもゼロックス」をキャッチフレーズで全国販売が開始されました。「2200」は、純国際の第1号であるとともに富士ゼロックスの小型機の開発、生産の原点となっていくうえでも重要な意味を持っていました。
「CoCo」の試作成功はランク・ゼロックス社、ゼロックス社を驚かせ、1970年夏、ランク・ゼロックス社工場でのデモンストレーション後は評価も高まりました。初期のゼロックス複写機で必要だった熟練したエンジニアによる調整作業なしで、電源を入れればすぐにコピーができる「CoCo」の性能は、「813」の4分の1のアフターサービスで稼働できるなど富士ゼロックス内部での厳しい要望に応えるかたちで実現したものでした。

2200の複写工程