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1960年代の日本の複写機市場

1960年代の日本は、米欧とは文書作成の慣行、オフィスの発達度、さらには言語や文字の構造といった多くの点で異なっていました。その相違は、米欧間の差に比べ格段に大きく、市場の仕組みや技術水準も大きく違っていました。ここでは当時の日本の複写機市場の状況についてご紹介します。

ジアゾ式複写機

富士ゼロックスが設立された1962年当時の日本の文書作成は、多くは青系統のインクを使い、万年筆やボールペンで文書を作成していました。和文タイプライターも用いられてはいましたが、操作には専門的技能を要し、作業スピードは手書きより著しく遅いものでした。
もちろん日本でも複写は行われていました。当時、数の上で圧倒的であったのは、「リコピー」に代表されるジアゾ方式の湿式複写機です。ジアゾ式複写機の生産量は、1950年代の後半をとおして毎年1,000台程度でしたが、1959年に一挙に1万台を超え、1963年には10万台を超える勢いで増加しました。
ジアゾ方式が急激に普及した理由は、機械と複写費用が共に安価であり、部数が多くない限りはさほど複写作業に時間を要しない、という点にありました。しかし同方式は、薄い専用用紙に複写原稿を作成しなければならず、原稿を光が透過する必要があるため製本された文書や表裏両面に書かれた書類を複写することはできませんでした。また、アンモニアやアミンを使用したアルカリ現像液を用いるため、長時間の使用では、加熱による臭気や人体への刺激が職場の問題となっていました。
ジアゾ式の大量普及は初期の日本の複写機市場に特徴的なもので、アメリカでは感熱式が圧倒的な割合を占めていました。日米いずれも2番手はドイツ発祥の拡散転写方式(写真式の一種)で、画質の良さから文献の複写などに用いられていました。

静電式複写機の登場

こうした市場状況に、最後に、完成した姿で登場したのがゼログラフィー方式でした。それまでの複写方式が、いずれも化学的変化を応用したものであったのに対して、ゼログラフィー方式は静電式写真といわれたように電子的原理に基づき、普通紙に複写できることに特徴がありました。前後して登場したRCA社のエレクトロファックスも、同じ電子写真の原理を用いていましたが、酸化亜鉛を塗った感光紙に複写することを特徴としていました。実用化の点でも、感度や用途などの利用面でも、ゼログラフィー方式の方が一歩先んじ、優れていたと言えます。
富士ゼロックス設立前から、「スタンダードゼロックス」(Xerox 1385)等のゼログラフィー方式の複写機は、商社などを経由して少量ながら日本に輸入されており、毎月5台程度が販売されていました。しかし高額だったこともあり、販売先は大企業や銀行、官庁の印刷部門などに限られていました。このXerox 1385は、現代の複写機のように同じコピーをたくさん出力するような使われ方ではなく、主に軽オフセット印刷用の刷版(オフセットマスター)を作るために用いられていました。